夜が嫌いになったのはいつからだろう。
「……これで最後、だな」
リビングのソファに、ボフッ、と音を立てて座る。
夜は嫌いだ。
怖いんじゃない、嫌いなんだ。
……怖いだなんて、認めたくないだけなんだけど。
いつからかはわからない。記憶を失ってからなのか、それ以前からなのか。
空が暗くなってくると、どうしようもなく不安になることがある。
このまま、自分まで闇に包まれるような錯覚に落ちる。
だから、そんな時は家中の電気を点けて回る。久保ちゃんがいる時はそんなことしなくても平気だけど、一人の時は駄目だ。
今日もそう。
夕方から久保ちゃんはバイトに行っちまった。もちろん、行くなだなんて、そんなわがままは言えない。
テレビを点けて、静寂を破って、アイツが帰って来るのをひたすら待つんだ。
「――任……時任」
「…………え……?」
名前を呼ばれて、ゆっくりと顔を上げる。それだけの動作なのに、酷く怠く感じる。
「時任、大丈夫?」
「……久保、ちゃん……?」
顔を上げると、目の前に久保ちゃんがいた。ちょっとボーっとしてたみたいで気が付かなかった。
久保ちゃんが俺の髪を撫でる。それが優しい手付きで気持ちいい。目を閉じて、その感触を楽しむ。
「なんだか猫みたい」
「うっせーよ」
クスクス笑う久保ちゃんを睨む。でも、久保ちゃんにはそんなもんは利かなかった。
「ねえ、電気って全部点いてんの?」
「……そうだけど?」
「電気代キツイなぁ」
そう言って、久保ちゃんは煙草を燻らせながら俺の隣りに腰掛けた。
「……煙草臭い」
「吸う?」
「いらね。お前さ、絶対肺とか真っ黒だぜ」
「うわぁ、見たくなーい」
まるで他人事のように笑う。
俺はそんな久保ちゃんを見て、僅かに目を細めた。
「……ねえ時任」
「なんだよ」
「寂しかった?」
俺は久保ちゃんから目を逸らした。
寂しかったかだって?
んなわけねぇじゃん。なんで俺が寂しがらなくちゃならないんだよ。
心ではそう思っているのに、口に出すことが出来なかった。
夜は、嫌いだ。
「……夜のバイト止めようかなぁ」
突然久保ちゃんが呟いた。俺は驚いて隣りを凝視してしまった。
「なんでだよ?」
「だって面倒くさいし」
久保ちゃんはなんでもないって顔して煙を吐き出した。
そして、何を思ったか、吐き出した煙で形を創り出した。
プカプカ浮いて、ユラユラ頼りなさげに漂っている。
「ほら、ドーナツ」
いや、どうでもいいから。笑顔でそんなに楽しそうに言わなくていいから。
「……バイトどうすんだよ」
「んー別にいいっしょ。家でのんびりするわ」
久保ちゃんが、ヨッコイショ、って言いながら腰を上げる。
……いつも思うんだけどさ、久保ちゃんって結構年寄り臭いよな。
ドアの所で立ち止まった久保ちゃんが振り返る。何かと思って俺は首を傾げた。
「行くよ時任」
「どこに?」
「そろそろ消灯時間」
そう言われて壁の時計に視線を向ける。
ホントだ。もう寝ないと起きれなくなる。電気消さねぇと。
急いで久保ちゃんの隣りに行く。すると、久保ちゃんは顎に手を添えて、うーん、って唸り出した。
「……やっぱり夜はヤダねぇ」
「へ?」
「なんて言うか……闇に飲まれるカンジ?」
驚いて久保ちゃんの顔を凝視する。
そんな俺に微笑むと、久保ちゃんは、ポンッ、って俺の頭に手を乗せた。
「明りは一つで大丈夫だと思うよ」
「……そうだな」
今までは夜が嫌いだった。
まるで、自分まで闇に包まれる錯覚に落ちるから。
でも、そんな心配はしなくていいみたいだ。
俺には、久保ちゃんっていう眩しいくらいの明りがあるんだから。
up 08.03.29