「……柳。次の日曜なんじゃが、その……空いとる?」
ベンチに座り練習で流れた汗を拭いていると、いつからいたのか、そっと傍らに立った仁王が静かに問いかけてきた。
どこか暗いその声に俺が顔を上げてみれば、案の定、憂い顔でこちらの反応をうかがう詐欺師がいた。
「空いているぞ。出かけるのか?」
「ん」
こくりと控えめに頷くのはこいつの癖のようなものだ。あまり、好ましくない癖。
普段は挑発的な言動や態度を取るくせに、それがすっかり鳴りを潜める瞬間がある。
あの放埓な姿はどこに行ったのかと問いたくなるほどに、自分という存在に自信をなくし塞ぎ込むのだ。
本人はスイッチと言っていた。いつ入るかわからない不安定なもので、自分でも切り替わるタイミングが掴めないと。
朝練の時はいつもと変わらない様子だったから、スイッチが入ったのはその後か。丸井からの連絡もなかったし、今日はそれほど酷くはなかったようだが。
「お前はどこに行きたいんだ?」
「…………」
「仁王?どこでも構わないから言ってみろ」
「……映画」
「映画?」
「この間、柳が興味あるって言っとったヤツ」
「あぁ、あれか。だがお前は退屈そうだと言っていなかったか?」
「……言った」
一言ひとことを慎重に音にする。俺に厭われないように。
その姿がとてもいじらしい。いつものように飄々と振る舞えばいいのだが、こればかりはそうもいかないようだ。俺がこいつを手放す気はさらさらないと言うのに。
しかしあの映画が見たいとはどういう心境の変化だろうか。あの時は嘲笑の如く一蹴していたのに。
「でも、柳が興味あるって言っとったから」
「だからと言って俺に合わせなくてもいいんだぞ。人には好みがあるだろう」
「だから、」
言いかけると言葉を切り、きゅっと唇を噛み締める。そんなに力を入れると切れてしまう。
「……だから、柳の興味あるもの、俺も知りたい」
人を愛することに不器用で臆病な、仁王なりの精一杯の言葉。
本気の恋愛に慣れずに余裕のない姿は、普段のこいつとは結びつかず危うささえ感じる。
うつむく仁王の髪に手を伸ばし触れる。ベンチに腰を下ろしている俺からは、逸らした瞳が揺れている様子が確認できた。撫でるように髪をすいてやると、強張っていた表情がかすかに柔らかくなった。
「何時上映だ?」
「ぇ……あぁ、確か初回は10時から」
「そうか。ではその時間に間に合うように行くか」
「ええの?」
「当然だろう」
「……そうじゃな」
「ただし」
先の発言を打ち消されると思ったのだろうか。仁王が小さく肩を揺らした。
些細な一言に怯え、する必要のない心配をする。その姿を愛おしく感じて、つい意地悪をしたくなってしまうのが俺の好ましくない癖か。
「別の日でも構わない。もう一本見に行く」
「……何を?」
「お前の見たいものを。お前だけが俺のことを知るつもりか?」
多少咎めるように言えば、目を見開いた後、嬉しそうにふわりと微笑む。
手を引くと仁王は大人しく俺の隣に腰を下ろした。
「柳」
「なんだ」
位置の変わった視線に下方から見つめられる。その瞳はもう揺らいでいない。
「俺、もっと柳のこと知りたい」
「奇遇だな。俺もだ」
癖も、考えも、嗜好も。
君と僕は違うから。
不安になって、好きになって。
だから、もっと、お互いを教え合おう?
up 11.05.29