柳生は全て知っている。
俺が今抱えているこの感情について話したのはこいつにだけだ。
だからかもしれない。こいつの前ではとても気弱になってしまう。
「……俺は臆病者じゃ」
小さく呟く。柳生が不思議そうに視線を向けてきた。
「逃げてばかりぜよ」
「仁王君……」
「なあ柳生」
ピタリと立ち止まる。そんな俺を少し離れた位置から柳生が振り返る。
お互い何も言わない。
暫く沈黙が続いた。時折、俺達の横の車道を車が走り去る。それ以外に音はない。
「どうしたら、いいんじゃ?」
やっと出てきた音は酷く掠れていた。小さい筈なのに、俺の声はやけに辺りに響いた。
「………伝えるべきです」
柳生がゆっくりと近づいて来る。俺は黙ってその様子を眺めていた。
一方が腕を伸ばせば届くという距離で柳生は歩みを止めた。
「あなたのその気持ちを、正直に」
「柳生……」
「彼はあなたの気持ちをないがしろになんてしませんよ。それはあなたにだってわかっている筈です」
それはわかっている。奴のことは、とても。他の誰かより劣っているなんて思っちゃいない。
しかし、もしかしたらという場合もありえるではないか。
「…………はぁ」
柳生が大きく溜息を吐いた。その様子に、俺は思わず軽く柳生を睨んでしまった。
人が真剣に悩んでいる目の前で、紳士にあるまじき行為。やはりこいつはエセだ。
「仁王君。あなたは自分の好きになった相手を信じられないのですか?そんな器の小さい人を選びましたか?違うでしょう。もっと、自分が好きになってやったんだ、くらいの心意気で行きたまえ!」
身体の前で握り拳を作り、力説する柳生。
思わず呆気にとられてしまった。こんな柳生は見たことがない。
「や、柳生……?」
「たった一言、好きと言えばいいんです。躊躇うことはありませんよ。自分に自信を持ってください!」
こんな柳生、俺は知らない。
こんなにも真剣な眼差しで、普段のものよりも大きな声を出して、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
試合の時にも見せたことのない表情。
その真摯な言動に身体が震えた。
首を振る事は許されないと思った。
目を逸らすことも出来ない。
「仁王君」
柳生が俺の名前を呼んだ瞬間、気付いたら俺は奴の胸に飛び込んでいた。
「に、仁王君!?」
「柳生」
途端に慌てだす柳生。俺が落ち着いた声で名前を呟けば、奴もやっと平静を取り戻したようだ。
そっと柳生の背に腕を伸ばす。
「……サンキュ。お前さんのお蔭で勇気出た」
照れ臭くて顔はまともに見られない。柳生の肩に額を押し付けて顔を隠した。
「いえ、これくらいのことは当然ですよ」
「……なあ柳生」
「なんです?」
「好いとうよ」
「……仁王君。そういうことは柳君に言いたまえ」
「予行練習」
「全く……あなたって人は」
「プリッ」
自然と笑みが零れる。
こいつとのこういう会話が好きだ。張り詰めた気持ちも容易くほぐれていく。
「さ、帰りましょうか」
「ん」
二人並んで歩き出す。暫く進んだ所で、俺は大変なことを思い出した。
突然うろたえ始めた俺に、柳生が不思議そうに首を傾げた。
「仁王君?」
「あ、あのな……」
「はい」
「お前さん、用事あるって言っちょらんかったか…?」
「ああ、そのことですか」
「ああ、って……ええんか?」
「ええ。嘘ですから」
「……は?」
「今日は丸井君や切原君の相手をする気分ではなかったので」
平然と言いのけてくれた。
奴はニッコリと微笑むと、呆然と立ち尽くす俺をその場に残し、悠々と歩き続けた。
やはり奴は紳士じゃない。
空が青い。
今日は朝から快晴で、空には雲一つ見当たらない。
時折、心地好い風が俺の前髪を軽く悪戯していく。このようなものを澄み切った空というのだろうか。
俺は長い間、寝転がった姿勢のまま屋上から空を仰いでいた。
つい先程までは昼食をとる為に柳生も一緒にいたのだが、予鈴が鳴ったので先に教室に戻って行ってしまった。
それにもかかわらずここにいる俺はもちろんサボりだ。今は音楽なんてものを受ける気分ではない。
……まあ、それはいつもだが。当然、去り際に柳生にはこれでもかというほど小言を言われた。
「柳生、か」
昨日、奴には背中を押して貰った。そのお蔭でいくぶんか気分が軽くなったのは事実だ。
しかし、それで躊躇がなくなったと言えば嘘になる。
『好き』
ただそう言えばいいのだ。しかし、その言葉を口にした瞬間、今まで築いてきた自分達の関係は確実に崩れてしまう。
振られたらもちろんのこと。もし違ったとしても、友人関係としてのあの心地好かった場所は失われる。
奴の口にする言葉がYESでもNOでも、粉々に砕けてしまったモノは修復不能だ。
……たった二文字の言葉が堪らなく歯痒い。
「全く……どうしたもんかのう」
「何がだ?」
暫しの沈黙。
「な……っ!?」
驚いて上半身を起こす。後ろを振り返ると、そこにはいる筈のない人物の姿。
「サボりとは感心しないな、仁王」
「さ、参謀……!?」
なんで……
先程本鈴が聞こえてきたから今は授業中であって、真面目なこいつがこんな所にいる筈がない。
幸村に笑顔でサボろうと言われても、絶対に首を縦に振るような奴ではないのだ。なのに。
「なんで……いるん……?」
参謀は俺の問いかけには答えず、俺のすぐ隣りに腰を下ろした。
ち、近い。
いくら俺でも、想いを寄せている相手に隣りに座られて、平静でいられる自信はない。
まして、最近はずっとこの男のことを避けてきたのだ。
無意識のうちに身体に力が入る。
「仁王」
不意に参謀が俺の名前を呼んだ。しかし、俺は俯いたままで顔を上げられない。
奴の顔が見られなかった。
「仁王」
もう一度参謀が俺を呼ぶ。それでも俺は俯いたまま。
「仁王!」
「っ……!!」
いきなり肩を掴まれ、無理矢理向かい合わせにさせられる。
「返事をしないか」
「す、すまん……」
参謀が不機嫌そうに眉を顰めた。
「……何故避ける」
「え……」
「最近、会話どころか、まともに顔も合わせていない」
「ぁ……」
「何故、避けるんだ?」
涙が出そうだった。
何か言いたいのに、言葉が出てこない。発しようとすれば、胸が押し潰されたかのように苦しくなる。
これほどまでに苦しいと思ったことがあっただろうか。
言ってしまえば楽なのだ。もう、この自分の気持ちを偽ることなど出来ないのだから。いっそのこと。
「……そんなこと、なか」
しかし、言える筈がない。
「参謀の気のせいじゃろ」
そう、気のせいだ。
「俺はいつもと変わっとらん」
お前は仲間。
「避けている……そう感じたのなら、すまんかった」
本来なら存在する筈のない感情。それを持ってしまった。
すまん。
「すまない」
「なんで、参謀が謝る」
謝らなくてはならないのは俺の方なのに、参謀は当惑したような表情を浮かべて俺を見ていた。
参謀の手が俺の頬へと戸惑いがちに伸ばされる。
「泣かすつもりはなかったんだ」
その言葉の理解に時間がかかった。
参謀の手が添えられている方とは逆の頬に自分で触れてみた。
濡れている。俺の涙で。
「なんで……泣いとるんじゃろ……俺は」
意識したとたんに、涙が涸れることのない泉のように溢れ出す。
拭っても拭っても止まらなくて、ただ袖が水分を含んで重くなるだけだった。
参謀が俺の目許に溜まった涙を拭う。その指先がとても優しくて温かくて、また涙が流れた。
「仁王」
何度目かわからない、俺の名前を呼ぶ参謀の声。
しかし、その声色はそれまでのとは違ってやわらかく感じた。
「本当はお前から言ってくれるのを待っていたんだが……」
参謀は真面目な顔付きになり、俺の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「好きだ、仁王」
まただ。
最近の俺の思考は停止してばかり。
想定外のことを言われると咄嗟の判断が出来なくなっている。
いつから?
そうだ。目の前にいるこいつを好きになってから。
「お……俺、も……」
やはり無理だったのだ。
「お前さんの……ことが」
自分の気持ちには嘘を吐けない。
「好き」
こいつは仲間。
しかしそれ以上に特別な存在。
「好きで好きで仕方ないんじゃ……っ」
参謀が優しく微笑んだ。
「よく言ってくれた」
そう言った参謀は、俺が過去に見たどの笑顔よりも綺麗に笑っていた。
参謀が俺の手に自分のそれを重ねる。
そして、参謀の顔がゆっくりと近づいてくる。
俺は静かに瞳を閉じた。
up 08.05.25