Sky Blue -2-

あれから数日が経った。
真田も柳生も、あの日のことは何も言ってこない。
ありがたい。二人共とやかく探ってくるような奴ではないから気が楽だ。


「におーせーんぱいっ!!」


背中に鈍い衝撃を受けた。何事かと思って振り返ると、少し視線を下げた辺りに特徴的な髪型があった。


「なんじゃ赤也、どうした?」


尋ねても返事が返ってこない。
不思議に思って赤也の顔を覗き込むと、赤也は両手で自分の鼻を押えていた。よく見ると瞳に薄らと涙を浮ばせている。


「……ぶつけたん?」
「……ぁぃ」


相当痛いらしい。
俺は赤也の手をやんわりと掴んでどかした。俺の背中にぶつけたその鼻は少し赤く色付いていた。


「おーおー、鼻が低くなっとる。男前が台無しじゃ」
「……思ってないくせに」


赤也が恨みがましげに見上げてきた。
どうせまた何も考えずに突っ込んで来たのだろう。自業自得だ。


「にーおー!!」
「ぅぶっ」


今度は身体の左側から衝撃を受けた。といっても、俺には痛みもないのでほとんど被害はない。あるのは。


「……赤也、生きとる?」


赤也は俺と突っ込んで来た奴との間に挟まっていた。ちなみに、先程の声は赤也のものだ。


「ぅ、ぁ……く、くそ……」


先程よりも涙目で赤也は両手で鼻を押えている。……またぶつけたらしい。


「くっ……丸井先輩っ!!」


赤也が勢いよく振り返る。俺達に突っ込んで来た奴は楽しげに笑っていた。


「あらー赤也君。すっかり男前になっちゃって」
「……喧嘩売ってんスか先輩」


いつものやり取りだ。俺は気にせずに中断していた着替えを再開することにした。


「あー無視すんなって仁王!」
「だったら赤也で遊ばんと、用があるなら早く言いんしゃい」


思わず呆れた声が出てしまった。ブン太は頬を膨らませて見上げてくる。


「仁王先輩!この人今日も俺の飴盗ったんスよ!?」
「何言ってんだよ!お前だって俺のクッキー盗っただろーが!!」
「いいじゃないっスか別に!先輩と違って毎日じゃないんスから!!」
「俺のことはどうでもいいんだよ!!」
「………お前さん達、いい加減にこの辺で…」
「「仁王(先輩)はどう思う!?」」


頭が痛くなってきた。
この役割はいつもならジャッカルではなかったか?なんで今いないんだあのハゲ。
どう思うって、何をどういう意味でだ。


「人気者だな、仁王」
「っ……!?」


弾けるように声の聞こえた方に顔を向ける。
部室の入口に参謀が立っていた。その後ろには他のレギュラーが勢揃いしている。


「なんだ、不機嫌そうな顔だな」
「……わかっとるんじゃろ。助けんしゃい」


参謀は苦笑するとこちらに近付いて来た。ブン太と赤也はまだそのことに気付いていない。
参謀が右手を高く掲げる。次の瞬間。


「「いってーーーっ!!!」」


バシッ、という小気味良い音を立てて腕が振り下ろされた。
その手には薄っぺらいノート。データの量とノートの重さは比例しているのではと思わせる音だった。


「いい加減にしろ、お前達」


よほど痛かったのだろう。二人は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「柳、それ上手くなったね」
「そりゃあ毎日のようにやりゃあな」
「日課になりつつありますしね」
「全くたるんどる!!」


幸村、ジャッカル、柳生、真田が次々と部室に入って来た。
全員がブン太と赤也に口々に言うだけ言って各自のロッカーに手をかける。二人の事は綺麗に無視だ。


「お疲れ様です、仁王君」


俺の隣りのロッカーを開けながらそう言った柳生は、俺の顔を見て微笑んだ。


「……お前さん、わざとか」
「なんのことでしょう」


しれっ、とした態度と答えが返ってきた。
きっと幸村や参謀は俺達のやり取りを見て、十分に楽しんでから部室に入って来たのだろう。
もちろん、隣りのこいつも。このエセ紳士め。


「仁王先輩!」
「ん?なんじゃ赤也。まだ何かあったん?」
「何って、俺まだ用件言ってないっス」


確かに。赤也が口を開く前にブン太が割り込んで来たので、まだ何も聞いていなかった。


「今日みんなでどこかで食べて帰ろうって話になってるんだ。仁王もどう?」
「ちょっ、幸村部長!?俺が言おうとしたのに!っていうか重いっスよ〜」


幸村が赤也に乗り掛かった。赤也は幸村を退かそうと躍起になっているが、当の幸村はそんな事は微塵も気にしていない。誰が見てもわかる程に顔が輝いている。
幸村は赤也の髪を弄り始めた。指先に絡めては引っ張ったりしている。そして、痛がる赤也がそれを必死に止めさせようともがく。
こうなるともう俺は完全に蚊帳の外だ。
俺はすがるように柳生に視線を向けた。柳生が小さく苦笑した。


「仁王君も行ったらどうですか」
「柳生は行かんのか?」
「残念ですが、用事があるので」


柳生は本当に残念そうな表情で言った。
俺は特に予定はなかった。家に帰って、いつも通りに賑やかな弟の相手をするくらいだ。
俺達はそう頻繁にこのような感じで遊びに行くことはない。別に仲が悪いというわけではない。むしろ良過ぎるくらいだ。
そんな俺達が行けない第一の理由は、部活で忙しい、だ。
たまにはいいかもしれない。こいつ達と騒ぐのも嫌いではないのだし。
そう思っていた。次の言葉を聞くまでは。


「柳君も行くそうですよ」
「え……?」


俺は柳生の顔を凝視した。冗談だと言って欲しかった。
しかし、無情にも俺の親友は望んでもいない言葉を続けてきた。


「行ったらどうです?」


俺は俯いて柳生から視線を逸らした。
柳生が親切で言ってくれていることはわかっている。しかし。


「………行きとうない」


柳生が困ったような表情をした。事情がわかっているだけに、奴の心情も複雑なのだろう。
俺はさっさと着替えを済ませ、バッグの整理を始めた。一刻も早くこの場から立ち去りたい。


「あ、帰るのか仁王?」
「はあ!?お前も行くんじゃねぇのかよ!?」


ジャッカルとブン太に掴まった。相変らずこういう事には目敏い。思わず溜息を吐く。


「えー仁王先輩行かないんスか?」
「すまんの、赤也。姉貴にお使い頼まれとる」
「うー……じゃあしょうがないか……」


渋々という感じだが、納得してもらえたようだ。
俺と同じく赤也にも姉がいる。それでだろう。簡単に引き下がってくれた。
以前、冷蔵庫に入っていたケーキを勝手に食べたら姉にひっぱたかれた、と赤也がぼやいていた。
完全に赤也に非があるのだが、その一件以来、姉とは逆らってはいけない恐ろしいもの、という認識を持ったようだ。
もちろん、俺の姉はそのような人ではない。


「柳生も帰るんじゃろ?行くぜよ」
「ちょっ、仁王君!?」


柳生の腕を掴むと、有無を言わせずに歩き出す。既に柳生が帰り支度を終えていることは知っていたから。
部室に残された他の奴達は、ただ呆然と俺達が出て行くのを見ていた。


up 08.05.18