「はぁ……」
「……仁王君」
「なんじゃ柳生?」
「13回目です」
「……もうそんなになっとった?」
何がと言われなくてもわかる。
自分でも自覚はあった。俺はさっきから溜息ばかり吐いている。
する時は全て無意識なのだから仕方がないとは思うが、それを隣りで続けられれば誰でもうんざりもするだろう。
しかし、それを数えているのもどうかと思うが。
「柳生、打ち合いしよ」
少しでも気を紛らわしたい。
身体を動かせば、このもやもやとした気持ちも晴れるだろう。
足元に転がっていたボールをラケットですくい上げ、その勢いのままラケットの面でボールを弾ませる。
ポーン、ポーン、という景気のいい音が周囲に響く。
「……いいんですか?」
柳生が遠慮がちに口を開いた。
俺はそれには返事を返さずに、宙に浮くボールを右手で掴んだ。それをジャージのポケットにしまい、もう一つボールをすくい上げ、近くのコートに向かった。
俺のその様子に柳生は小さく溜息を吐いたが、黙って俺について来てくれた。
「柳生」
お互いがそれぞれの位置につく。
まさに俺がトスを上げようとした時、俺はネットの向こう側の相手の名前を呼んでいた。
「どうしました?」
「…………すまんの」
柳生は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに優しく微笑んだ。
「いえ」
俺はベンチの方に視線を向けた。とても見慣れた背中が視界に入る。
何かアドバイスでもしているのだろうか。奴は数人の部員達と言葉を交していた。
遠くてよく見えないが、切れ切れに聞こえて来る部員達の声の調子と様子からして、厳しい指摘をしながらも、冗談などを交わして結構会話は弾んでいるようだった。
俺は堪らなくなり、その光景から逃げる様に視線を逸らした。胸が締め付けられた気がして息苦しい。
大きく頭を振って、意識の外へ追いやろうとする。
俺はボールを宙に高く放り投げた。
この感情を持ったのはいつだったか。
よくはわからないが、気付いた時には目で自然と姿を追っていた。
そして、この感情の正体を知ったのはつい最近のことだ。
それからというもの、俺はまともに奴の顔を見れていない。表面上では平静を装ってはいるが、内心では怯えている自分がいる。
そう、怯えているのだ。
この感情をさらけ出してしまえば、今まで通りには過ごせない。今まで築き上げてきた関係も全て崩れてしまう。
怖かった。
生きてきたこの十数年間、自分がこんな感情を持ったことなど一度たりともなかった。
こんなにも一人の人間を想い、心が支配される。気付けば奴のことばかり考えている。
らしくないと思う。しかし。
「どうしたらいい?」
考えれば考える程頭が混乱する。
いつから自分はこんなにも弱くなったのだろう。
「仁王……?」
突然聞こえてきた声に驚いて、ビクリと身体が跳ね上がった。恐る恐る顔を上げると、そこには真田が立っていた。
真田は俺の顔を見るなり、訝しげに眉を顰めた。
「どうした?こんな所で何をやっている」
俺が今いるのは、水飲み場から少し離れた所にある木陰。木の幹に背を預ける形で、俺はそこに蹲っていた。
ふと、真田の手元に視線がいった。ラケットは持っていないが、代りにボールを3個ほど持っている。どうやらフェンスから出たボールを拾いに来たようだ。
「仁王?」
はっ、として意識を戻す。自分はまだ真田の問いに答えていなかった。しかし、その問いがなんだったか思い出せない。
「ああ、すまん。ちょっとボーとしとった。なんじゃ?」
いつもと変わらない調子で答えた筈だった。
詐欺師と呼ばれているほどだ。普段の俺なら平静を装うのは容易い。
しかし、今回はそんな仮面も無意味だった。
「何かあったのか?」
「………え?」
真田がゆっくりと俺の正面にしゃがんだ。俺と真田の目線が同じ高さになる。
真田が言葉を続けた。
「どうした?お前がそんな表情をするとは……」
一瞬理解が出来なかった。
俺がなんだって?
「……自覚がないのか?」
いくぶん、真田の声に驚きが含まれていた。
驚いたのはこちらも同じで、俺はただ呆然とすることしか出来なかった。
真田は普段はかなり鈍い。
本人に自覚はなくとも、他のレギュラー達はみな認めている。その真田に見抜かれた。
そんなに今の俺は切迫していたのか。
真田から視線を逸らし、辺りに彷徨わせる。これ以上こいつといると、自分の全てを見抜かれてしまう気がした。
「………仁王」
真田はおもむろに立ち上がると、真っ直ぐ俺を見下ろしてきた。
俺が俯いているせいで見えないが、その表情はとても真剣なのが雰囲気でわかる。
真田は茶化したりなど絶対にするような奴ではない。
「……何があったかは知らん。だが、あまり独りで泣こうとするな」
今度こそ本当に言葉を失った。
堪えていた涙が一筋、頬を伝う。
「っ……!?」
何の前触れもなく、頭上に軽い重力を感じた。
驚いて顔を上げようとするが、何かに視界が遮られていてよく見えない。
手を伸ばして確認すれば、それは布のような感触。真田の帽子だ。
「暫くお前に預けておく。持っていろ」
「さな、だ……」
「……今回だけだ」
そう言うと、真田は踵を返して行く。
部活をサボっている者を見逃すほど、真田は甘くはない。
しかし、真田は俺に何も言わなかった。これが奴なりの優しさだろう。
真田の姿が見えなくなったところで、漸く俺は言葉を発することが出来るようになった。
「………サンキュ」
今はこれしか言えないが。
「……お…くん……仁王君」
「ん……」
誰かが呼んでいる。
俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。
「やっと目が覚めましたか」
寝起きで視界がぼやけていてよく見えないが、この声はとても耳に馴染んでいる。
「柳生……?」
数回目を擦り顔を上げる。そこにはやはり、柳生の姿があった。
「もう暫くで部活が終わりますよ」
立てますか?と手を差し伸べてきた。俺は黙ってその手を取って立ち上がった。
ジャージに付いた土を軽く払う。
「あと何分じゃ?」
「30分ほど」
「嘘……」
そんなに寝ていたのか。どうやら完全に熟睡していたようだ。
「よくここがわかったの」
柳生との打ち合いの後、すぐに俺は黙ってここに来た。誰にもどこに行くかは言わなかった筈だ。
「真田君に頼まれました」
「真田に?」
「ええ。そろそろ帽子を返せだそうです」
「……ああ、これか」
頭から帽子を取る。すっかりこれの存在を忘れていた。
しかし、これは真田が俺に預けて行ったもの。返せと言われるには少し違う気がする。
「……預かっとるだけなんじゃが」
「そうなんですか?まるで盗られたような口振りでしたよ」
まあ、間違ってはいないか。
真田からしてみれば不本意だっただろう。
「じゃあ返しに行くか」
そう言って歩き出す。数歩歩いてふと後ろを振り返ってみると、少し離れた所に立った柳生がこっちをジッと見ていた。
俺が歩いた距離からして、柳生は一歩も歩いていない。
俺も立ち止まった。
「どうした?」
しかし柳生は黙ったまま。
一向に口を開こうとしない様子に、俺は痺れを切らし奴の所まで戻った。
「なあ、やぎゅ…」
柳生の顔を覗き込んだと同時に手首を掴まれた。俺はあまりに突然のことで対応が遅れてしまった。
「や、柳生?」
「……本当にいいんですか?」
「な……にが……?」
口の中がカラカラに乾いている。息をするのが苦しい。
「彼のことです」
「――っ……」
思わず柳生の手を振り払おうとした。しかし、逆に掴む手に強く力を込められてしまった。
「……放しんしゃい」
「……嫌です」
俺は唇を噛んだ。血が滲みそうになるまで強く。
「仁王君」
柳生が俺の肩に顔を埋めた。柔らかい髪が首筋に触れ、少しくすぐったい。
「仁王君……」
「……なんじゃ」
「あまり……無理をしないでください」
俺は何も言わなかった。
正しくは言えなかった。
「あなたはなんでも溜め込み過ぎる」
「……そんなことなか」
「あります。……あなたはいつも勝手気ままな態度を取りやりたい放題。かと思えば、自身の肝心なことに関しては表に出そうとせず、悟られまいと振る舞う」
柳生が大きく息を吐いた。
「心配なんですよ」
「…………すまん」
「謝らないでください」
「…………ん……」
俺は最近、こいつに謝ってばかりのような気がする。
up 08.05.11