これがはじまり

俺と宍戸が付き合い始めて一ヶ月が経った。
これが速いのか遅いのかはわからない。
俺は遅くはないんじゃないかって思うんだけど、周りの奴らに言わせれば遅いらしい。

何がって、俺達は恋人同士だから。

手を繋いだり、抱き締めたり、キスしたり。
そういったことは、一ヶ月もすれば普通は済ませているものなんだと。
よくクラス連中で恋愛の話になる。男女関係なく全員が興味津々。俺は専ら聞き専門だけど、付き合ってる奴がいるから、参考程度に参加してる。
でもしょせん中学生。人生経験なんてろくにしてないし、恋愛だってまだ未経験の奴らも結構いる。
誰一人として何が正しいのかもよくわかっちゃいない。正解なんてもんは、はなからないのかもしれないけど。

とまあつまり。
こうやって俺は、何が信頼できるのかもわからない情報を色々と仕入れているわけだ。


「岳人?」


どのくらい自分の思考に沈んでいたのか。
目の前で宍戸が訝しむように俺の様子を窺っていた。その手にはワイシャツ。まだ着替え終わってなかったらしい。


「何?」
「なんだ。目開けたまま寝てんのかと思った」
「んな器用なこと出来ないっての」


俺は大きく伸びをした。あ、ちょっと眠いかも。部活キツかったもんなぁ。
でもここで寝るわけにもいかない。こんなとこで一夜を明かすのは御免だ。まあ、宍戸が起こしてくれるとは思うけど。


「なあ、他の奴らは?」


部室を見渡してみると、俺達の他に人影はなかった。
それでも机の上には見覚えのあるノートが置かれている。持ち主は思い出せなかったけど、まだ残っている人がいるのかもと思って聞いてみた。でも違ったようだ。


「先帰ったぜ。跡部と樺地は生徒会だけど」


いつの間に。挨拶くらいして行けよな、特に後輩共。って、俺が気付かなかっただけか。
え、それじゃあ俺が悪いってことかよ。無視しちまった?先輩としての印象悪くなんじゃん。

宍戸は俺に背を向けるとまた着替えを再開した。
本当にこいつテニス大好きだよな。今日だって他の奴らが上がっても一人だけ残って練習続けてたし。
……俺は体力の限界だったから部室で待機してました。こいつに合わせるのは無理です。
こいつだって体力はある方じゃないのに、精神力とか向上心とかが高いから人一倍練習に精を出してんの。
強くなりたいからって理由だけじゃなくて、純粋にテニスが好きなんだろうな。テニスしてる時の宍戸、スッゲーいい顔してるもん。

そういえば、あの時も違う意味でだけどいい顔してた。
宍戸が俺に告白してきた時。
必死に、顔は逸らしちゃいけねえ!!って言い聞かせているような表情を浮かべて、でも、逸らしたいオーラをビシビシ放ってて。
悪いと思いながらも、可愛いなんて思っちまった。でもそんだけ想いも伝わってきたんだ。

そう。先に告白したのは意外にも宍戸だ。
だからあいつが俺のことを好きだってのは間違いない。冗談や気の迷いでそんなこと言う奴じゃない。
罰ゲームだ、と持ちかけられても、断固拒否するのが容易に想像できる。
そして俺は、宍戸が恋愛に疎いことも知っている。正直、あいつの方から付き合おうと言い出したのが奇跡なくらいだ。

他人は他人、自分達は自分達のペースで関係を築いていけばいい。
というのは誰かの言葉。
俺自身もそう思ってる。けど、なんて言うか、不安とは違うんだけど……気になんだよな。


俺、お前と恋人らしいことをした記憶がない。


前に手は繋いだことはあるけどさ、あれって俺が一方的にお前の手を掴んで引っ張って、そこら辺を連れ回しただけだよな。
やっぱりそーゆーことには興味ない?一緒にいるだけで幸せってヤツ。
まあ、それはそれで嬉しいんだけどさ。
俺達って付き合っても特に変わったことってねーよな。っていうか全く。強いて言えば、毎日一緒に帰るようになったことくらい。


「なあ宍戸」
「ん?」


宍戸が振り返る。
お前……バッグにジャージをしまうのはいいんだけどさ、せめてワイシャツのボタンを留めろ。肌蹴過ぎ。
そーいうとこ無頓着なのは知ってっけど。
確かにこの部室暑いよな。どうせみんなが帰った後、お前が節約とか言ってクーラー消したんだろ。学校のなんだから思う存分使ってやればいいんだよ、この根っからの貧乏症。


「岳人、何?」


呼んでおいて何も言わないんじゃそりゃあ聞き返すよな。
けど正直もうどうでもいいっていうか、気が変わった。相手は宍戸だしなぁって。
お前が一緒にいるだけで幸せって言うのならそれでいい。別に今じゃなきゃいけないわけでもないし。急ぐ必要はないよな。


「って、宍戸。お前腕に怪我してんじゃん」


宍戸の右腕が赤くなっているのを発見してしまった。
また擦り傷か。よくそんなに毎日怪我出来るよなぁ。


「あー本当だ。ボール追いかけて突っ込んだ時かな。ま、ほっといても治る」
「お前ってホントそういうとこも無頓着だよな……」


怪我をするのが日常化してるから、いちいち気にしてたら切りがないってか。少しくらい気にしろっての。


「おーし。岳人様が手当てしてやるよ」
「別にいい」
「いいじゃん。お前のお蔭でだいぶ上手くなったんだぜ」
「……それって嫌味?」
「お、わかった?」


包帯だってきちんと巻けるようになったんだぜ。こんな能力は発揮する機会がない方がいいってのに。
俺はソファから立ち上がると宍戸の隣に並んだ。救急箱はロッカーの上に乗っている。
誰だよこんなところに乗っけた奴。こんなに腕を伸ばしてるのに届かないんですけど。


「俺が取ろうか?」
「いいっ」


宍戸の背なら届くだろう。でも俺は自分で取りたかった。取ってもらうのってなんか悔しいじゃん。
背伸びしてるのに届かない。仕方ないからジャンプを試みる。あ、届きそう。


「おっし取れ、たぁああああ!?」


届いたことが嬉しくて、すっかりそのことに気を取られていた。
跳んだら着地しなきゃいけない。それなのに全く足に力を入れていなかった。
この状況、宍戸の言葉を借りるなら、まさに、激ダサ。
って、悠長にそんなこと考えてる場合じゃない!
足元からバランスを崩す。とっさに隣にいた宍戸のワイシャツの裾を掴んだ。


「ばっ、掴むんじゃ……っ!」


宍戸が抗議の声を上げたけど、俺はそのまま宍戸も巻き込んで倒れ込んだ。
俺の腕から落ちた救急箱が派手な音を立てて床にぶつかる。幸いにも蓋は開かなかったようで、中身をぶちまける事態には至らなかった。


「ってー……引っ張ったら支えらんねーだろーが……」
「わり……咄嗟に手が……」


そこで俺の言葉は途切れた。目の前の光景に、一瞬思考が停止した。


「……岳人?」


黙り込んだ俺を、宍戸が不思議そうな目で覗き込んでくる。
うん。ちょっと待ってくれ。この体勢って、あまり好ましくないような気がすんだけど、それって俺だけか?
きっとそうなんだろうな。目の前の顔を見る限り間違いない。
そんなことを一人グルグル考えていたら、突然、本当になんの前触れもなく、部室の扉が開かれた。


「本当にすみません。忘れたのは俺なのに」
「別にええって。気にせんとき。たまにはこういう日があっても……」


そこでそいつらの会話は途切れた。目の前の光景に、一瞬活動が停止した。
部室の中を見て固まる二人。俺達のダブルスの相方、侑士と長太郎だった。
その視線の先は当然、俺達だ。つまり、


宍戸に押し倒されたかのように見える俺と、俺を押し倒したかのように見える宍戸。


宍戸が俺に覆い被さるように、顔の両脇に手をついていて。
しかも着替えが終わっていたとはいえ、暑いとかいうふざけた理由のせいでワイシャツのボタンがきちんと留まってなくて肌蹴てる。
俺の顔も、真っ赤とまではいかなくても、たぶん、赤い。

暫しの沈黙の後、侑士が部室の中に入って来た。机に置かれた忘れ物を手にすると、無言のまま踵を返す。
用事を済ませた侑士は、未だ硬直からとけない後輩の背を押しながら、何事もなかったかのように扉に手をかけ、一言。


「ほな、ごゆっくり」


そして閉まる扉と、静まる部室。
え……もしかしてというか、やっぱりというか、誤解された?俺達まだそこまでいってねぇよ?お前だって知ってるよな?たまに、本当にたまーに恋愛相談に乗ってもらってるわけだし。
確かにそーゆー状況を連想させる条件は揃ってたけど!!
そう心の中で慌てる。そんな俺とは対照に、キョトンと二人の出て行った扉を見つめていた宍戸がポツリと呟いた。


「……もしかして誤解された?」


おっそ!!この手に疎いのは知ってっけど、そこは感付くだろ普通!のんきに首傾げんな!!


「わ、わかったら離れる!!」


宍戸の身体を押しやって距離を取る。なんか必要以上に意識しちまって、宍戸のことを直視出来ない。
絶対に侑士が変なこと言ったせいだ。そうに決まってる。
でも侑士のせいにしたからといって、この気まずさから逃れられるわけじゃない。
どうしたものかと考えていると、いつかのクラスの連中の会話が脳裏に甦った。


『でさ、そしたらバランス崩してその子のこと押し倒す形になっちゃって』
『それで?その後はどうしたんだよ?』
『なんか気まずくなって……その場は誤魔化した』
『バッカ!そこはガッと行けって!!』


ガッってなんだ。どう行けと。もっと詳しく言わなきゃわかんねーよ。あんま参考にならないなこれ。
窺うように顔を上げると、ちょっとばかし不機嫌そうな目がそっぽを向いていた。
たぶん、侑士達に目撃されたから。誤解とは言え、宍戸ってこういうの人に見られるの苦手そうだもんな。
でも……
もう、見られちゃったわけだし。あたふたしたって仕方ないし。

というわけで。

一ヶ月経ってるもんな。いいよな。もう知らね。なるようになれ!
思い切って友人の言葉に従い行動を起こす。ガッて行きゃあいいんだろ。これが俺の解釈だ。
宍戸のワイシャツの襟を掴んで思いきり引き寄せる。そして、その勢いのまま宍戸の唇に俺のをいささか乱暴に押しつけた。
俺が目を閉じる直前に、宍戸が目を見開くのが一瞬見えた。
ギュッと瞑っていた目を開けると、目の前には呆然とする宍戸が。


「え……」


その表情を見た瞬間、俺は慌てて顔を背けた。
やっちまった……
だ、大丈夫だよな。相手の同意得てねえけど。相手は宍戸だもんな。大目に見てくれるって。心広いもんなお前。
口元を手の甲で押さえる宍戸。顔が真っ赤。俺の顔も真っ赤。
心臓がうるさい。でもなんだろう。嫌じゃない。緊張とか恥ずかしいとかもあるけど、何よりも、嬉しい。

好きな人とするってこんなに嬉しいもんなの?
あいつらがやたら騒いでたのってこういうこと?

だったら、もっとしたい。
俺はもう一度襟を掴もうとして、止めた。
せっかくなら宍戸からやって欲しい。


「宍戸」
「な、何?」


明らかに動揺しているのがわかる。でもその表情から察するに、怒ったり嫌がったりしているわけじゃなさそうだ。
なら問題ないかな。


「今度は宍戸からやってくれない?」
「なっ……!?い、今のを……か?」
「そう」
「…………断る」
「…………なんで?」


宍戸は黙り込んで答えない。


「……じゃあ、お前は今なんにも思わなかった?」


求めてたのって俺だけ?なんかそれって俺ががっついてるみたいじゃん。
好きな人からやってもらいたいと思うのは当然だろう?


「そうじゃねーけど……」


歯切れが悪い。はっきり言ってくれ。


「思った、ぜ?今までにも何度かしたいなって考えたことあったし。でも行動に移すのは……」
「なんでだよ」
「…………だろ」
「あ?」
「……恥ずかしいだろ、自分からなんて……」


されるのだってこんなになってんだから。


……………………ごめん。ちょっと俺この場から消えたい。
何を言い出すかと思えば恥ずかしいだ?
不覚にもトキメいちまったじゃねーか……!!
二度目だ。まさかこいつを可愛いと思う日が再びこようとは思わなかった。かっこいいなら毎日思ってんのに。


「……よし、わかった」
「な、何が」
「これからは俺が仕掛ける。だからお前は思う存分恥ずかしがってろ」
「…………はっ!?」


決まりだな。


「待て岳人!何わけわかんねーことを……!!」
「じゃあ宍戸が俺を襲ってくれる?」
「お、おそ……っ!?」


うしっ!
こーゆー行為が嫌なわけじゃないってんなら、難しく考える必要もない。俺も好きだってわかったし。
隙あらばガンガン攻めるぜっ!!
覚悟しろよ宍戸!!


up 09.12.13