「修学旅行の夜。と言えば定番は!?」
あと一時間もすれば消灯時間。布団も敷き、着替えも済ませ、後は時間になるのを待って身体を休ませるのみ。そんな中、千石が同室の仲間に向かって問いかけた。
手塚は明日の予定の確認のために修学旅行のしおりを眺めていたが、また始まったと冷めた目で千石を一瞥すると、興味なさそうに再びしおりへ視線を戻した。そんな手塚の態度に千石は眉を顰めた。本当にノリが悪い。
千石は期待を込めてもう一人の仲間に視線を移す。彼ならこの話にのってくれるはずだ。
ゴムを解いた髪を手で撫でつけながら、宍戸は小首を傾げた。手入れされた長髪が肩を滑る。
「え、好きな子の名前暴露大会?」
「……君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」
いつもは自分が女の子の話を振ってもはぐらかすものだから、てっきり恋愛話は苦手なのだと思い込んでいた。もしかしたら、実はそっちも案外好きなのかもしれない。
千石は 『消灯後 恋バナ 全員強制参加』 と脳内にメモを残しながら、不思議そうな表情を浮かべる宍戸の前に腰を下ろした。
「違うのか?」
「それは今開催が決定されたよ。そうじゃなくてね、俺は枕投げって答えが欲しかったの」
「ああ!そっちか!」
宍戸は合点がいったというように笑った。そして、やるのか?と千石の顔を窺う。
当然、と千石が頷く前に、真面目くさった声が遮る。
「却下だな」
「えーいいじゃん。手塚もやろうぜ」
宍戸がぼふぼふと手塚の布団を叩きながら言う。布団が潰れるたびに手塚の眉間の皺が増えていく。しかし、その原因を生み出している張本人は全く気にしていない。
この部屋の布団の配置は、三枚の布団を横に並べた形、いわゆる川の字だ。壁側がいいと主張した宍戸を無視し、千石と手を組んで宍戸の布団を真ん中に敷いたが、手塚は今になってそれを後悔し始めていた。
しかしそれでも、千石が隣よりもいい。同じことを千石がやるより、宍戸の方が可愛げがあるというものだ。それが手塚ビジョン。
「どうせお前達は見境もなく騒ぐつもりだろう。隣室に迷惑がかかる」
「あ、それは問題ねえ。隣は跡部だし」
あっけらかんと答える宍戸。その後ろで千石も大きく頷いている。あぁそれなら、と納得しかけて手塚は溜息を吐いた。
普段の学校生活から傍若無人な態度の跡部景吾。その数々の所業を考えると、自分達が多少ハメを外しても許される気がしてくる。なんせ今回の修学旅行だって、部屋割は一部屋で少なくても三人、多くて六人と決められていたはずだ。それなのに、配布されたしおりを見てみれば、自分達三人の名前の隣には跡部の名前しか表記されていない。
つまり彼は一人部屋なのだ。
いくらこの旅館が多くの部屋を所有しているとは言え、そんなわがままが通ってしまったことに頭を抱えたくなる。
「もうさ、何も考えずに楽しんじゃおうよ!枕投げと言えば修学旅行の醍醐味だよ!?思い出残そうよ!」
「手塚は俺達につまんねー思い出を残させるつもりか!?」
「だが……」
「俺、手塚と一緒に楽しい思い出残したいなぁ」
この宍戸の言葉が決定打だった。
おもむろに自分の枕を掴むと、手塚はそれを思い切り千石に投げつけたのだ。なんの構えも取っていなかった千石は防御も出来ない。顔面に攻撃を受けた千石はそのまま背後に倒れ込んだ。
自他共が認めている手塚の宍戸に対する甘さを、上手く利用した言葉だった。宍戸が口の端をわずかに上げたことに、手塚は気がついていないだろう。
宍戸は勢いよく立ち上がると、押入れを開け、予備の枕を引きずり出して部屋にぶちまけた。
「……やってくれるじゃん手塚君」
上体を起こし、復活した千石が片手を挙げ、高らかに宣言する。
「枕投げ大会開幕ッ!!」
* * *
跡部は大きく伸びをした。長時間同じ姿勢でいた身体は少し強張っている。手にしていた本を机に置くと、窓際に立ち窓外を眺めた。開け放った窓からの、澄んだ空気がとても気持ち良い。都会の喧騒とは無縁な景色に、心が穏やかになっていくようだ。
「やはり一人部屋にして正解だったな」
別の誰かがいては、この静かな時間を得られなかった。
満足そうに呟く跡部だが、 「それなら、一人じゃなかったら誰と同室になっていたんだ?」 という問いには答えられない。跡部自らが行動を起こさずとも、自然と一人部屋になっていただろう。
この学園に入学してからというもの、はっきり言って、跡部にはまだ友達ができていない。本人も少しそのことを気にしていたが、あまり考えないようにしていた。
流石の跡部も、たまには落ち込むことだってある。
再び本に意識を戻し、腰を下ろそうとして、動きを止めた。何か大きな音が聞こえたのだ。恐らく隣の部屋から。
「あいつら……」
また宍戸と千石か。何度あの二人は俺様の手を煩わせれば済むのだろう。
跡部は、隣室との空間は遮っても騒音までは遮らない壁を、忌々しげに睨みつけた。
せっかく気持ち良い気分だったのに。静かな一人の時間を邪魔しないで欲しい。
断じて、仲の良い仲間と賑やかに騒いでいて羨ましいというわけではない。
言い訳がましく自分に言い聞かせる。……なんだか悲しくなった。
跡部が自虐的になっている間にも、隣室の騒音はヒートアップしていく。そろそろ我慢の限界だ。
堪らなくなった跡部は、原因の隣室に乗り込もうと、部屋の襖に手をかけた。
断じて、楽しそうだから自分も一緒に騒ぎたいというわけではない。
* * *
「おい宍戸に千石!!静かにしやがぶふっ」
「あ」
勢い良く襖を開け、意気揚々と姿を現した跡部。彼を迎えたのは、凄まじい速度で飛んで来る枕の襲撃だった。それを顔面で受け止めた跡部に、その場にいた全員が閉口する。
意図的でないとはいえ、あの跡部にぶつけてしまった。跡部になら迷惑がかかっても構わないと先程言い切ったばかりだが、いざ本人を目の前にすると脳内では瞬時に言い訳を探してしまう。
怒りに震える跡部が、自分に枕を投げつけた犯人を睨みつけようと顔を上げた。しかし、相手が予想もしていなかった人物で呆然とする。
「すまない跡部」
「て、手塚……お前が?」
跡部にぶつかった枕を投げた犯人は手塚だったのだ。その事実に跡部は衝撃を受けた。
てっきり、騒いでいたのは宍戸と千石だと思い込んでいた。手塚は静めようと躍起になっているが手に負えないのだと。それがまさか、静めるどころか参戦しているとは。
しかしよく考えてみればわかることだ。いくら二人が問題児と言っても、手塚がさじを投げるなどありえない。何かしらの手段を使って場を静めるはずだ。きっと今回はその手段が自分も枕投げだったというだけで。
現実はともかく、跡部はそう考えた。自称手塚の好敵手な跡部らしい思考だ。
「本当にすまない跡部。千石が逃げたから」
「ちょっと手塚君!?今のは君が悪いんでしょ!?」
「お前が逃げなければ跡部に当たることもなかった」
「そもそも手塚君が投げなければよかったって話だよね!?」
なんて理不尽な責任転換。修正されたばかりの跡部の中の手塚像が、追い討ちをかけるように崩れていく。
しかしそんな跡部にはお構いなしに、手塚と千石の不毛なやり取りは続いている。
「つーか、どっちもどっちだろ」
跡部はハッとして声の主を見た。一歩離れたところで傍観していた宍戸が呟いたのだ。言い出したのは千石でのったのは手塚だし、と呆れた目で眺めている。手塚をけしかけた一番の原因である自分を棚に上げる宍戸だが、跡部がそんなことを知っているはずがない。
気を取り直し、未だ言い合う二人を視界から押しやるようにして跡部は宍戸に向き合った。
「宍戸。順を追って、こうなった経緯を説明しろ」
「お、おう」
* * *
「急に立ち止まってどうした、向日」
「卓球場に忘れ物でもしましたか?」
「いや……ちょっと、アレ」
指差す先が示すのは、何故か跡部の前に正座させられている手塚達。
跡部が突入してきた時から開いたままだった部屋の襖。そこから、偶然廊下を通りかかった三人組が覗いていたのはまた別の話。
up 10.04.03