珍しいと思った。
いつどこであろうと顔を突き合わせれば喧嘩が始まるオレ達。
付き合うことになってからもそれは相変わらずで。
静寂とか、そういう雰囲気を連想させる言葉とは無縁だと思っていたのに、今のオレ達はまさにそれだった。
オレはベッドの上でごろりと寝返りを打ち、仰向けになって天井を見つめた。
毎日見ているわけでもないのに、とても見慣れた天井。
ちらりと視線を横に移せば、オレが横たわるベッドに寄りかかり、真剣に雑誌を読むこの部屋の主の後姿が。
たぶん雑誌の中身はボクシングとかそこらへん。こいつが読むのなんてそれくらいしかないだろう。
つーか、雑誌とはいえ、こいつが活字を読んでいる事実に驚いた。こいつには身体を動かしているイメージしかねえ。
部屋の中には芝生頭がページをめくる度に起こる紙の擦れる音しかしない。
お互いに一言も喋らず、沈黙が続いている。かといって居心地が悪いってわけじゃないんだが。
「なあ芝生」
オレは気が付いたら沈黙を破っていた。
自分で呼んでおいてだが、図らずもそんな行動を取っていた自分自身に驚く。
でも、この空間に物足りなさを感じていたことは事実だ。
たまにはこういう静かなのもいいんだけどよ、なんつーか、やっぱりオレ達っぽくないっていうか。
「なんだタコヘッド」
呼びかけがあれば当然応えもある。
なのにオレときたら、呼んだ後のことを全く考えていなかった。無意識だったし、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
でもどーすんだこれ。やっぱなんでもないは駄目だよな。
何か音が欲しいと、あいつの声が聞きたいとしか考えてなかった。
「タコヘッド?どうしたのだ?」
芝生頭が首を捻ってこちらを向こうとする。
でも姿勢の所為かその視線はオレの姿を捉えることはなく、中途半端な位置で泳ぐことになった。
とりあえずオレは何か言わなきゃいけねえ。
なんだ?どんな話題がいい?
「……なんでオレらって名前で呼ばねーんだ?」
なんでこんなこと聞いてんだよオレ。知らねーってそんなん。
今更過ぎるだろ。気にすることじゃねえ。
……や、ちょっとばかし気にはなっていたけど。
「そういえばそうだな。いつの間にやら馴染んでしまっていた」
そう言って、芝生は考え込むように顎に手を添え、うーむ、とか唸り出した。
おい。適当に言ったことなんだからそこまで真剣に考えないでくれ。軽く流せよ。
「……じゃあさ、名前で呼んでみっか?」
また何か言い出したぞオレ。どうした。頭沸いてんじゃねぇか?
芝生頭なんて間抜け面してこっち見てんじゃねーか。
なんだよ。オレがそういうことを口にしちゃ悪いってか。
「そうだな!するか名前の呼び合い!」
芝生頭が太陽みたいに眩しく笑って賛同した。こいつが見せるオレの好きな笑顔の一つだ。
けど止めろその言い方。響きとか、なんかやたらと恥ずかしく感じるんだよ。
「…んじゃ、てめーから」
「隼人」
思考が止まった。
「隼人?」
反応を示さないオレを訝しんだ芝生が、身体を反転させて完全にこちら側を向いた。
そして膝立ちになり、ベッドに横たわったままのオレの顔を覗き込む。
芝生頭が手を突き体重をかけてきたことでベッドが片一方に傾いた。
眉間に皺を寄せた顔が近付く。それでもオレは身動き出来ずにいた。
「隼人?どうしたのだ顔が赤いぞ?」
言うんじゃねえ!そんなのオレが一番わかってる!
油断してた。こいつはこういう奴だ。いつもオレの考えの斜め上を行く。
いきなりとか反則だ。
くそっ顔が熱い。温度高いんじゃねぇかこの部屋。クーラーはどうした扇風機でもいい早く用意しろ。
って今は夏だっけか?それとも冬?でも寒くねーぞああもう何がなんだかわからなくなってきた。
「はや…」
「っ、な……んで、名前なんだよ……っ」
これ以上は堪えられない。
オレは素早くうつ伏せになり枕に顔を押し付けた。
漸く絞り出した声は情けないほどに小さく、更に突っ伏しているからくぐもって聞き取り辛くなった。
でもちょっと失敗したかもしれない。これあいつの枕だ。余計に意識しちまう。
そんなオレの心情を察することなく、芝生頭は全くわけがわからないという表情で首を傾げてやがる。見えないけどゼッテーそうだ。
「何故だ?名前で呼ぶと言ったのはお前だぞ」
「オレは獄寺の方でって意味で言ったんだ!名字!」
「む、そうだったのか?それはすまん」
名前で呼びたいとか呼ばれたいとか。
考えてた。ああ考えてたよ。でもよ、実際に面と向かって言われたかったんじゃねえんだ。
「ハヤト」 なんて、城の奴らとかシャマルとかにしか呼ばれることのなかった名だ。
だから呼ばれ慣れてないっつーか。現に今だってお前の顔が見れねえし。
でもお前がどんな表情してんのか、知りたい。この目で見てーんだ。
「ハヤト」 って、お前だったらこんな表情をして口にするのだろう、こんな表情は絶対にしない、とか。
考えた。考えては打ち消し、また考えての繰り返し。
結局、答えは出なかった。
だから、やっぱり、見たい。正解が知りたい。
さっきのは……いきなり過ぎたから。笑顔とかそういう類だったと思うけど、眩し過ぎてよく見えなかった。
「……芝生。もう一度だけ呼べ。一度だぞ!」
「う、うむ」
顔を持ち上げ、しっかりと相手の顔を見据える。
逃げるなオレ。ずっと答えが知りたかったんだろ。
芝生頭の唇がゆっくりと動く。……来る。
「は…」
バッ!!
「……まだ言い終わっていないぞ。何故顔を背けるのだ?」
「……条件反射だ。気にすんな」
無理だ。いきなりじゃなくても無理だった。
マジで顔が熱い。名前を呼ばれるだけだってのに、なんでこんな心臓バクバクいってんだ。
「……お前、もう呼ぶな。今まで通りでいい。それか名字」
「そうか?しかし名字では同じ場合もあってまどろっこしいではないか。まあ、お前のはそうそう見かけることはないがな。寧ろ下の名の方が流用されているか」
「そうだろ。だから…」
「だがオレは違う!以前どこかで笹川という名を目にしたことがある。そいつと混合されるのは気に食わん。お前には下の名で呼んで貰う!!」
「なぁ!?」
なんだよそれ!?
大体そいつ誰だよ!や、 「ササガワ」 だってことは知ってっけど。
なんでどこの誰だか知らない奴の為にオレがそんなことしなきゃならねえんだ。
第一、 「リョウヘイ」 だってそこまで珍しくもないだろう?なら笹川で十分な筈だ。
「断る」
「拒否権はないぞ」
なんでだよ!!
正面からねめつけるが、相も変わらず芝生頭は涼しい顔をしている。
そこらの不良も逃げ出す睨みも、この男には一切通用しない。
それでもオレは睨み続けるが、このままでは現状が変化しないことはわかっていた。
わかったよ!呼べばいいんだろ呼べば!
一回でも呼んでやりゃあそれで満足するだろう!?つーかしやがれ!もう自棄だ!!
「り…、りょう……へい……っ、これで満足か!?」
どうしてオレは顔を背けている。
呼ばれることだけでなく呼ぶことも出来ないのかオレは。
あぁ自分が情けない。
「……?……おい……?」
いつまで経っても芝生頭からの反応がない。
オレが無意識に顔を背けているのは、きっと相手の表情を見たくなかったからなのだろう。
しかし、なんのリアクションもないと不安にもなる。
そろそろと顔を元の位置まで戻し、相手の姿を視界に捉える。
芝生頭は俺に背を向けていた。
その行動の真意を測りかねて、先程芝生がオレにしたように、オレも奴の顔を覗き込んだ。
ベッドから降りて、背後から身を乗り出して下方から表情を窺う。
そしたら……え?顔が、赤い?
「芝生?」
「ぁ……、ああ、いや、すまん。……まさかこれほどの威力だとは思っていなくてな」
「は?」
「なんというか、その……照れるな」
「っ……」
いつもの芝生頭らしくない。逃げるように視線を彷徨わせるのを見てしまった。再び自分の顔に熱が集まるのがわかる。
だああぁっ意識させんなっ!しないようにしてたっつーのに!
「……なあ、タコヘッド」
「な、…んだよ」
呼び方が戻ってやがる。それなのにまともな返事も出来ないオレ。
それだけ互いに意識してるってことかよ。
「名前、どうするのだ?」
どうする、って。
「てめーが呼べって言ったんじゃねーか」
「最初に言い出したのはお前だ」
そうだった。頭が沸いたんだかでオレが口走ったんだ。
自分の言ったことには最後まで責任を持てってか。
いや、でも、あれは下の名前でって意味ではなかったわけだし、責任も何もないんじゃ。
それでも、お前がそう言うのなら。
「了、平」
「む……?」
「今からてめーのことはずっとこれで呼んでやるっ!!」
「何!?」
逆にこれを利用してやればいい!
こっちも恥ずかしいという欠点があるが、この際そんなもんは克服すればいいんだよ!!
「了平了平了平っ!!〜〜っ、何度も言ってりゃそのうち慣れる筈だ……っ!!」
「待てタコヘッド!!無理してまで言わんでいい!!」
耳まで真っ赤に染めた芝……了平が必死になってオレを止めようと叫び続ける。
それを耳を塞ぐことで無視し、オレは奴の名前を繰り返し叫ぶ。
あまりの騒がしさに笹川(妹)が様子を見に来るまでこの状況は続いた。
やはり、オレ達は静寂とは無縁らしい。
up 09.01.10