何をしに来たのだろう。
先程から浮かぶ疑問が一つ。
突然なのはいつものことだ。
この男は前触れもなくオレの前に現れる。
規則はない。本当に予測がつかないのだ。
カラン、
グラスの中で氷が音を立てて崩れる。
会話が弾むというわけでもなく、適度に静かな空間。テレビも点いていない。
ただ酒を飲む相手が欲しかったのか。だがワインボトルは男、シャマルの前。オレの手の届かない場所に置いてある。
それに引き替え、オレの目の前にはかわいらしいオレンジジュース。
なんの嫌がらせか。
扉を開けるなり、シャマルはニヤニヤとムカつく笑みを浮かべながらオレの前に突き出してきたのだ。
それを素直に口にしている自分もどうかと思うが。
「チッ、切れちまった」
見るとシャマルのグラスは空になっていた。注ぎ足そうとするも、ボトルの方も、らしい。
「隼人。新しいの持って来い」
「なんでオレが」
言われるとわかっていたので答えは用意していた。
当然だ。どうせオレには飲ませないんだろ。なら自分で持って来いっての。
「あーあ、隼人ちゃんがつれなーい」
「きしょくわりーんだよエロオヤジ!!」
何がちゃんだ。泣き真似してもみっともないだけだっつーの。
オレに動く気がないと諦めたのか、シャマルはぶつくさと文句を言いながら重い腰を上げた。
その後ろ姿をぼんやりと見つめ、また思いに耽る。
何故この男はいつもオレの前に姿を現すのか。
今日だってそうだ。連絡も入れず突然押し掛けてきやがった。
こいつなら一晩の部屋を貸す女の一人や二人いるだろうに。
あぁ、でも豪語するわりにナンパが下手だったな。
タネと仕掛けを作ればいいとか言ってたが、絶対に口先だけだ。ぶっちゃけ成功しているのを見たことがない。
城にいた時だって、見れば必ずといってもいい程、頬を赤く腫らしていた。
以前、10代目の家でやらせて頂いたゲームでも振られてたしな。そりゃ、生身と機械とじゃ勝手が違うんだろうけど。
シャマルにナンパテクがあるかどうかはひとまず置いておいて。
本性を晒さなければそれなりに、非常に認めたくはないが、かっこいいのだ。
仕草、思考、容姿。
幼心なりに憧れたオレは、それらの全てを真似た。
頑是ない子供だったオレにはその一つひとつが輝いて見えて。
他の、他人の評価ばかりに気を取られる奴らとは異色の光を放っていたのだ。
自由奔放。
どんな批判を浴びようと、自我を貫き通す姿には清々しささえ覚えたものだ。
だが、彼の数々の所行を知る今となっては消し去りたい、恥ずかしい過去だ。
だからといって幻滅したというわけでもない。
嫌いであれば部屋になんて最初から入れようとしないだろう。
年上だし、いちいち癇に障ることばかり言ってくる食えない野郎だ。
だが、アポなしの奴の侵入を許すほどに、オレはこいつのことを認めているのだろう。
裏社会に名を馳せた腕の立つヒットマンという理由だけではなくて。
「お前はおかわりいらねーのか?」
リビングからシャマルの声がする。
オレはテーブルの上に視線を落とした。いつの間にかオレのグラスも空になっていた。
「じゃあそれくれよ」
「バーカ。お子様には早いつったろ」
「そんなにガキじゃねぇよ!」
「酒飲んでぶっ倒れただろーが」
何年前の話だ。
それはオレがまだ城にいた頃で、毎日飽きもせず城のお抱え医師の後を付いて回っていた頃のこと。
その時は、初めて口にした酒がキツくて散々な目に遭った。
隣にいたシャマルがあまりにも美味そうに飲んでいるものだから、興味が湧いたのだ。
城の者は誰も頑として首を縦には振ってくれなかった。
だがシャマルだけは、オレの眼前にボトルを差し出してきた。
「もうガキじゃねぇんだからさ」
そこいらの酒くらいでぶっ倒れて堪るか。
そう確固たる自信があって言ったのだが、鼻であしらわれた。
「オレからしたら、お前なんてまだまだガキだよ」
「オッサンだもんな」
「……クソガキが」
苦虫を噛み潰したような顔をして呟く。
オレからしてみりゃあ、あんたは十分オッサンなんだよ。
立ち上がったオレは、シャマルの隣に並ぶとその手元を覗き込んだ。
そこそこ度数のある酒。へえ。あんたの好きなワインじゃないんだ。
つか、オレそれ見覚えねぇんだけど。いつ持ち込みやがった。
「おい、それ」
「あん?やらねぇぞ」
「じゃなくて、なんでんなもんがあんだよ」
「決まってんだろ。持って来た」
「……飲ませる気がないんなら持ってくんな」
オレが横から奪っても文句言えねーぞ。
「グチグチとうるせー奴だな。ほれ、ガキはジュースでも飲んでろ」
「わっ、勝手に入れんな!!」
グラスに並々と注がれた濃い色の液体。初めて見る色だ。
「……なんだよ、これ」
こんなもの、この部屋にはなかった筈だ。
これもこいつが持って来たのか。一体何本持ち込んだんだ。
「言ったろ。ジュース」
ではないだろ。
漂う香りは微かに酒気を帯びている。微弱ながらもアルコールだ。
オレが見上げると、シャマルは片目を瞑っておどけてみせた。
「グレープ味」
「……へぇ」
ジュース、ね。
一口だけ口に含んでみる。口内に広がるさわやかな酸味。余韻はしつこくない。
少し掲げて光に透かしてみた。
濁ったような色の液体は、明るく僅かに透明になるが、完全には向こうの景色を映さない。
まるであんたみたいだよ。本心が見えない。
駄目だと言いつつ、矛盾した行動を取るのは今回が初めてじゃなかった。
城の連中が決してやろうとはしなかったこと。それをこいつは容易くやってのける。
だから、なのだろう。
オレの視線がやたらとこの男を追っかけていたのは。
「隼人ー」
「あぁ?」
「どうした?ジュース飲んだくらいで酔ったか?」
「んなわけあっか!」
グイッと残りの液体も飲み干す。一気飲みした喉が少し熱い。
「シャマル」
「おー?」
「てめーのそれ。どーせジュースなんだろ?オレにも飲ませろよ」
「へーへー。お子様は目新しいものを見るとすぐこれだ」
口調は投げやりなのに、口許は歪んでいる。
目許も、優しい。
ゆっくりとグラスが満たされていく。
過去形じゃない。
オレは今でもこの男の背を追いかけている。
それは他人が与えてはくれない、新しい世界が見られるからか。
はたまた、だた昔の面影が忘れられないだけか。
なあシャマル。
本当は意地でも言いたかねーけど。
やっぱあんたはかっけーんだよ。
憧れだ。
この男がオレに構わなくなっても、オレはいつまでも、この広い背を追い続けるのだろう。
up 08.11.09