3.鼓膜を震わす悲鳴

「はぁっ……はぁっ……」


足許で枝が大きな音を立てて折れた。
遠慮なく周りから突き出ている木の枝が身体に擦れて、ガサガサと大きな音が響く。
自分の居場所を教えているようなものだが、そんなことを気にしていられるほどの余裕は今の宍戸にはなかった。
ただ、我武者羅に走り続ける。しかし、そろそろ体力の限界だ。脚が思うように動かない。


「く、そ……っ」


駿足を誇る彼だが、流石にここは足場が悪い。何度も転びかけた。追いつかれるのも時間の問題だ。


「――っ……!?」


前方や後方ばかりを気にしていたので、足許への気配りが不十分だった。
慌てて視線を向けると、地面の盛り上がった所から木の根が飛び出していた。それに躓いたようだ。
傾く身体をなんとか持ち堪えようとする。その時、横の樹々の間から聞こえてきた。


「こっちだっ!!」


何も考えずに、飛び込むようにして声の方に駆け出す。同時に腕を掴まれ、陰の中へと引き寄せられた。
息を殺して固唾を呑む。
宍戸を追って来た相手は、そのままどこかに行ってしまったようだ。


「……行ったようだな」


そこで初めて、宍戸は自分をこの場所に導いた人物を知った。


「お…、いし……」


息が切れて上手く言葉が出てこない。
そんな宍戸に苦笑し、大石は自分のバッグからペットボトルを取り出してそれを手渡した。
宍戸が小さく礼を言い受け取る。ほんの僅かだけ口に含むと、突き出すようにして返す。


「もう少し飲んでも構わないよ?」
「……いい。もったいない」


水を飲んだお陰で、乱れていた息もいくぶんか落ち着いたようだ。


「はぁ……マジ助かった……」


気が抜けたのか、宍戸は強張った身体を解いた。


「………宍戸」
「ん?」


視線を大石へと向ける。しかし呼んだとうの本人は、宍戸の顔を見たまま口を開こうとしない。


「な、なんだよ大石」
「……疑わない、のか?」
「へ?」


宍戸は思わず間抜けな声を出してしまった。何を言い出すんだと言いたげに大石の顔を見つめる。


「……お前は今、無防備にも武器も構えずに俺の前にいる。さっきの水にも、毒が入っていなかったとは言い切れない」


大石の眼差しは真剣だ。そして、不思議で仕方がないという様子だった。
そんな大石の言葉と表情に、宍戸の顔が悲しそうに歪んだ。


「………俺、さ……嫌なんだよ、仲間を疑うのは。さっきも襲われてたけど……そんなの信じたくねえ」


これが夢であってほしいと何度も思った。
これは悪い夢で、すぐに目が覚めて、その時には全員がケロッとしている。



しかし、現実は残酷で。



仲間が傷付け合っている。


仲間が自分を追っている。


仲間が一人ずつ消えている。


仲間が仲間でなくなっている。



どうして?



唇をギュッと噛み、俯く。悔しくて涙が出そうだ。


「よかった」
「……え……?」
「宍戸を助けて。正気の人がいて安心した」


そう言って大石は微笑んだ。


「怪我はしていないか?」
「あ、ああ。逃げる時に枝で腕とか切ったけど、それくらいだ」
「そうか」


それから二人は口を噤み、暫く沈黙が続いた。風もなく、木の葉の擦れる音さえ聞こえない。



静か過ぎる。



二人がそう思った時だった。


「っ!?」
「なっ今のは……っ!!」


銃声だ。
しかも、近い。
間髪を容れず続く悲鳴。


「くっ!!」
「あっ待て宍戸っ!!」


走り出そうとする宍戸の腕を掴み、引き止める。
振り払おうと試みるが、大石の腕には力が込められており、それは叶わなかった。


「放せっ!行かなきゃ!!」
「落ち着け宍戸!状況もわからずに無闇に飛び込むな!」
「でも……っ!!」
「宍戸っ!!!」


滅多に聞かない大石の大きな声に、ビクリと肩が震えた。


「……ごめん。ちょっと気が立ってた」


大石が気まずそうに視線を逸らす。宍戸はゆっくりと首を振った。


「いや……大石は悪くない、俺が……」


黙りこくる二人。
暫くして、宍戸がおもむろに顔を上げた。それを大石が訝しげに見つめる。


「宍戸?」
「……やっぱ無理だ。悲鳴聞いたのにジッとしてるなんて」


宍戸は真っ直ぐに大石の瞳を見据え、はっきりとした口調で言った。


「俺が行ったって何も出来ずに死ぬだけかもしれない。でも、助けられる可能性だってある」


その瞳に迷いはなく、もう揺らぐ事のないことを大石は察した。


「…………はぁ……仕方ないな」
「大石……?」
「確かにこのまま見ぬふりなんてしたら、後味が悪いな。見殺しと何も変わらない」


宍戸の瞳を見つめ返すと、大石は大きく頷いた。


「行くぞ!」
「ああ!!」


銃声と悲鳴が聞こえてきた方向へ、出せるだけの力を振り絞り駆ける。


「宍戸、武器は?」


宍戸が腰から取り出したのは小銃だった。それを目の前で掲げて見せる。


「もちろん全弾あるぜ。……使いたく、なかったからな」


一瞬宍戸の表情が曇った。しかし、すぐにそれを隠し問いかける。


「お前は?」
「これだ」


そう言って大石が上着のポケットから取り出したのは、学生の筆箱に入っているような普通のカッターだった。


「……しょぼ」
「仕方ないだろう」


また悲鳴が響く。


「く……っ」
「……大丈夫だ。まだ間に合う」


悲鳴が聞こえる。
つまり、まだ声の主は生きている。


「死なせねえ……っ!!」


殺しなんてさせない。


「仲間の筈だろっ俺達はっ!!」



勝手に死ぬのも、

勝手に殺すのも、

許さない。


up 08.02.20